エホバの証人にまつわる歴史探求ブログ

方向性については現在思案中

源流を探る(1)-ジョージ・ストーズという人物について

まず、私の結論から先に書いてしまいます。C・T・ラッセルは初期の教理形成の過程において。その神学の多くをジョージ・ストーズから学んだらしいという事になりそうです。これは、直接師事した、というよりも、ストーズの発行した雑誌、『バイブル・イグザミナー』の研究によるのだろうと思っています。つまり、少人数で始まった初期の聖書研究の参考書として、『バイブル・イグザミナー』誌を用いたのではないかということです。もちろん物証はありませんが、状況証拠なら示すことができます。

まず、ジョージ・ストーズとはどんな人物だったのか。直接関係する部分だけWikipediaから拾い出してみます。

http://en.wikipedia.org/wiki/Adventist

The Life and Advent Union was founded by George Storrs in 1863. He had established The Bible Examiner in 1842.

Life and Advent Union (「人生と再臨連合」とでも訳すべきか…)は、1863年、ジョージ・ストーズによって設立された。彼は1842年の『バイブル・イグザミナー』によって認められていた。

http://en.wikipedia.org/wiki/John_T.Walsh(Adventist)

They contended that Christ had returned on October 22, 1844, only invisibly, and that the Millennium had begun on that date.

彼(ジョン・T・ウォルシュ)らは、その日、目に見えない形で千年王国が始まり、1844年10月22日にキリストが戻ったと断言する。

Walsh was then an associate editor of the Bible Examiner, an Adventist periodical published in New York City and edited by George Storrs.

ウォルシュはそのころ、ニューヨークでジョージ・ストーズによって発行されていた再臨派雑誌、『バイブル・イグザミナー』の副編集者であった。

Walsh's and Storrs' differences to the beliefs of the main body of Adventists resulted in their finally forming a separate denomination, the Life and Advent Union, on August 30, 1863.

ウォルシュとストーズには再臨派の主要な信条に対する異なる見解はあったものの、1863年8月30日、彼らは最終的に、Life and Advent Union の分派を形成している。

http://en.wikipedia.org/wiki/George_Storrs

A Congregationalist since age 19, George Storrs was received into the Methodist Episcopal Church and commenced preaching at age 28; by 1825 Storrs had joined their New Hampshire Conference.

会衆派の一員であるジョージ・ストーズは、19歳よりメソジスト監督教会に迎えられ、1825年、ストーズは彼らのニューハンプシャー会議に加えられると、28歳で説教を開始した。

In 1837 he found a copy of a pamphlet by Henry Grew on a train, concerning the doctrines of conditional immortality (the non-immortality of the soul), and hell. For three years he studied the issues on his own, only speaking about it to church ministers. However, in 1840 he finally resigned from the church, feeling he could not remain faithful to God if he remained in it.

1837年、彼は条件つき不滅(霊魂の非不滅)と地獄の教理に関する、ヘンリー・グルーによる1部のパンフレットを列車で見つけた。3年の間、彼はこの問題について1人で研究し、ただ教会の牧師たちだけに語ることにした。しかしながら、そのままそこに留まっていたならば、神への信仰に留まる事はできないと感じていた彼は、1840年、ついに教会から辞職した。

Storrs became one of the leaders of the Second Advent movement and affiliated with William Miller and Joshua V. Himes.

ストーズは第二次再臨運動のリーダーの1人となり、ウイリアム・ミラーやジョシュア・V・ハイムズと交際した。

これらの情報から明らかになるのは、(1)ストーズが、会衆派、メソジスト派、再臨派の3つの教派の教理に通じていたであろう事。(2)ウォルシュと共同で分派を立ち上げたストーズは、再臨が目に見えないとする信条を有していたであろう事。(3)『バイブル・イグザミナー』刊行前からすでに、不滅の魂の否定、地獄の否定などの信条を有していたであろう事。といったところでしょうか。C・T・ラッセルが少年時代に聖書への信頼を失ったのは、まさにこの地獄の教理の存在にあるので、それを否定し、教派にとらわれない幅広い見解を示す事が可能な立場にあったストーズの雑誌は、ラッセルの心を捉えるのに十分な資質を備えていたという事になりそうです。また、年表より引用すると、

1872年

贖いと革新(アダムの罪のゆえに失われたものの回復)の関連性に着目。ラッセルは贖いの教理の重要性を大きく認識する(告 P131,46)

という事実があるのですが、この「革新」という概念、元々は一部ユニバーサリストの中に見出されるとの解説が『ふれ告げる人々』P49にあり、聖書研究会を立ち上げて2年、まだ20歳そこそこに過ぎない青年が、インターネットも無い時代にどうやってそのような理解に至ったのか、という大きな難問にぶつかります。しかし、ストーズは当時75-6歳。そうした知識も持ち合わせていたとしても何の不思議もないのです。また、聖書研究開始からわずか5年、『朝の先触れ』に接する以前にラッセルが目に見えない臨在の理解に到達していたという点についても、ストーズ経由で学んだと仮定するならば難なく説明できてしまいます。あとは、再臨派に身を置きながらも、ストーズ自身は年代計算に対する興味を失っていたらしい事が『ものみの塔』2000年10月15日号 P25-30に書かれており、

http://m.wol.jw.org/ja/wol/d/r7/lp-j/2000766

そうした考えが、ラッセルの年代計算に対する軽蔑という態度に影響を与えていたのではないかという仮説すら成り立ちそうです。

最後に、アメリカの歴史における、メソジスト派の立ち位置についても解説しておきましょう。現在、合衆国で成員数第一位を誇るのは、福音主義に属するバプテスト派です。メソジスト派は現在、成員数に関しては第二位、主流派の中では最大勢力を誇るようです。19世紀の始め頃にはすでに、この2つの教派が他の教派を成員数で圧倒していた形であり、1860年の時点では、バプテスト派よりもメソジスト派の方が多かったようです。

プロテスタントカトリック「アメリカ生活e-百科」内のページ

http://www.jlifeus.com/e-pedia/10.culture&society/03.religion/ptext/02.protestant.htm

人口比率ではないものの、近年の成員比率を知るための参考となるほか、おおまかな特徴を知る助けとなるものと思います。

http://en.wikipedia.org/wiki/Methodism

4.5 North America の項に、成員数の変化を示すグラフあり