エホバの証人にまつわる歴史探求ブログ

方向性については現在思案中

神名の発音問題

だいぶ長いこと放置していましたが、こちらはさほど複雑な問題でもないのでササッと書き上げてしまいます。

発音問題というと、エホバは間違いで正確にはヤハウェだ、という議論がなされるのが一般的な傾向としてあるように思います(主にエホバの証人を批判する側の人が喜々としてそうした方向へと議論を誘導したがるようです)。ただ、エホバの証人はそんな事は全くといっていいほど重要視していません。あくまで発音すべきか否かの方に関心を向けているのです。私がこの事実に気づかされたのは『神の御名』というブロシュアー(小冊子)を読んだ時なのですが、そこではタルムードの解説が載せられており…とか書くと異教の文章がどうたらこうたらで背教だ異端だなどと言われそうな気もするんですが、実はそのブロシュアーと同じ内容は『洞察』にも記載されていて、エホバの証人由来の情報である点についてはネットで簡単に裏付けが取れたりします。

https://wol.jw.org/ja/wol/d/r7/lp-j/1200002391#h=14

ミシュナの最初の部分には,「人は[神の]み名[を使って]仲間とあいさつすべきである」という積極的な命令もあり,その後にボアズの例(ルツ 2:4)が引き合いに出されています。―ベラホット 9:5。

つまりこの問題で焦点となるのはルツ記2章4節の聖句という事になるのでしょう。ルツ記は全てのクリスチャンが正典として認める書ですから、この問題点を論ずるに能わずと反対する人はまずいないと思います。では具体的な文章で確認してみるとしましょう。

文語訳旧約聖書(1953)
https://ja.wikisource.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%84%E8%A8%98(%E6%96%87%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#2:4

時にボアズ、ベテレヘムより來り その刈者等刈者等に言ふ ねがはくはヱホバ汝等とともに在せと 彼等すなはち答てねがはくはヱホバ汝を祝たまへといふ

口語旧約聖書(1955)
https://ja.wikisource.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%84%E8%A8%98(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#2:4

その時ボアズは、ベツレヘムからきて、刈る者どもに言った、「主があなたがたと共におられますように」。彼らは答えた、「主があなたを祝福されますように」。

文語訳に従えば、ダビデ王の曽祖父にあたる人物ボアズと彼の畑の労働者たちは、神名を用いて挨拶を交わしていた事になります。しかし口語訳では挨拶の言葉を主と発音していたかのように読めます。

この辺の事情に疎い人にもわかりやすく説明しますと、ユダヤ教では原文に神名が出てくると、そこはアドナイ(主)と言い換える風習があります。神名をみだりに発音してはならないという十戒の教えを忠実に守ろうとするからです(ただしこれは、原文に手を加えるような野暮な真似はしないという事の証明ともなっています)。ところが一般的なキリスト教ではそこから一歩進んで?、神名の部分を主という別文字に置き換えてしまいます。その数、実に6000回以上(笑)。しかしこれだと、原文が元々主であったのか、神名を置き換えた結果主となったのかの判別がつかなくなるため、置き換えの事実があったことを示すなんらかのサインを残すような工夫がなされる事もあります。具体的には、英語だったらLORD(神名)とLord(主)のような違い、日本語だったら(神名)と主(主)のようにアンダーラインの有無で違いを暗示したりするような事例が認められるらしい(判別できないと、詩篇110篇1節のように両者が混在する文では奇妙奇天烈な表現となります)。

上記で引用した文語訳(神名)と口語訳(主)が異なる理由については3つのパターンが考察できます。1.文語訳が誤訳、あるいは恣意的な訳である可能性(原文は主)、2.webという媒体に転載する際にアンダーラインの重要性を知らない転載者によって記載が漏れた可能性(原文は神名)、3.原文は神名なのだけれどもその違いを明確にする事を軽視する翻訳者によって最初からアンダーライン抜きで訳出された可能性(原文は神名)。もののついでなので、英語の聖書についても幾つか調べてみます。

Bishops' Bible(1568)
https://en.wikisource.org/wiki/Bible_(Bishops%27)/Ruth#Chapter_2

And beholde, Booz came from Bethlehem, and sayde vnto the reapers: The Lorde be with you. And they aunswered him: The Lorde blesse thee.

Lordeなので主

欽定訳(1769版)
https://en.wikisource.org/wiki/Bible_(King_James)/Ruth#Chapter_2

And, behold, Boaz came from Bethlehem, and said unto the reapers, The LORD be with you. And they answered him, The LORD bless thee.

LORDなので神名

欽定訳(1911版)
https://en.wikisource.org/wiki/The_Holy_Bible,_containing_the_Old_%26_New_Testament_%26_the_Apocrypha/Volume_1/Ruth

And, behold, Boaz came from Beth-lehem, and said unto the reapers, The Lord be with you. And they answered him, The Lord bless thee.

Lordなので主(同じ欽定訳でも違いがあるようです)

アメリカ標準訳(1900)
https://en.wikisource.org/wiki/Bible_(American_Standard)/Ruth#2

And, behold, Boaz came from Bethlehem, and said unto the reapers, Jehovah be with you. And they answered him, Jehovah bless thee.

Jehovahなので神名

World English Bible(1997)
https://en.wikisource.org/wiki/Bible_(World_English)/Ruth#Chapter_2

Behold, Boaz came from Bethlehem, and said to the reapers, "Yahweh be with you."

They answered him, "Yahweh bless you."

Yahwehなので神名

The Free Bible(2006)
https://en.wikisource.org/wiki/Translation:Ruth#Chapter_2

Now Boaz came from Bethlehem. He said to the harvesters, "Yahweh be with you!", and they said to him, "May Yahweh bless you!"

Yahwehなので神名

結局、英語でも2種類あるようです。じゃあ原文も2種類あるのかというともちろんそんな事はありえなくて、だいぶ寄り道しましたが、ヘブライ語で見ればどちらが正しいのか白黒はっきりします。

https://he.wikisource.org/wiki/%D7%91%D7%99%D7%90%D7%95%D7%A8:%D7%9E%D7%92%D7%99%D7%9C%D7%AA_%D7%A8%D7%95%D7%AA_%D7%9B%D7%99%D7%93_%D7%94%D7%9E%D7%9C%D7%9A_-_%D7%A4%D7%A8%D7%A7_%D7%91

ד וְהִנֵּה בֹעַז בָּא מִבֵּית לֶחֶם וַיֹּאמֶר לַקּוֹצְרִים יְהוָה עִמָּכֶם וַיֹּאמְרוּ לוֹ יְבָרֶכְךָ יְהוָה.

יְהוָהなので神名

と、このようにボアズたちの交わした挨拶の言葉が原文では神名になっており、すると当時は神名を当たり前のように発音していたんじゃないかという疑問が当然のように湧いてくるわけです。アドナイと発音していたのであれば文字通りアドナイと書いておけば何の混乱もないのに、挨拶の言葉として「発言されたはずの部分」にわざわざ神名を用いているわけなのですから。そのようなこともあって、ユダヤ教で発音を避けるのは、みだりに発音してはならないの「みだり」の意味を取り違えてしまったためであって、本来は積極的に発音すべきものだというのがエホバの証人の考える「神のご意思」というものとなるわけです。

さて、「我々は積極的に発音しよう」、と決まりました。どんな発音が相応しいのかの問題はエホバの証人の間ではここにきて初めて意味を成します。ただ、最初に書いた通り、エホバの証人はこちらの問題に関しては全くといっていいほど無関心です。なぜか、正確な発音がそんなに重要なのであれば、神がその発音を保存する努力を怠るはずがない、ところが現実には保存されているとは言い難いのだから、神にとって発音それ自体はさほど重要ではないのだろう、といった解釈へと至るからです。だからその地域で伝統的に用いられてきた名称があればそれが優先的に採択されたとどこか(『ふれ告げる』だったか?)で説明されていたはず。それが日本ではたまたまエホバだった、とこういうわけです。また、神名を用いるべきか否かという重要な問題をなおざりにしたまま、正確な発音はどうだったかというような(結論の出るはずのない)空虚な議論ばかりに終始して他人を批判する道具として神名を貶めるのはどう考えても肉の業であり、愛ある神に倣う行いとは考えにくい(クリスチャンらしからぬ行動である)、というような反論もしていたような気がします。