エホバの証人にまつわる歴史探求ブログ

方向性については現在思案中

源流を探る(2)-教理の原点

エホバの証人の教理は借り物だ、という叩き目的の主張が昔から存在します。実はこの見解、全く正しかったりします。『ふれ告げる人々』49ページにはこうあるからです。

彼はこう説明しています。「我々の仕事は……長いあいだ散らばっていた真理の断片を集め寄せ,それを新しいものでも,我々独自のものでもなく,主のものとして主の民に示すことであった。…(中略)…我々は,宝石のような真理を見つけて配列し直した手柄を自らのものとしてはならない」。ラッセルはこうも述べています。「主が我々の乏しい能力を喜んで用いてくださったこの業は,創作の業というよりは,再構築し,調整し,調和を図る業であった」。

ものみの塔』1993年12月1日号18ページもこの同じ主張を引用し、ラッセルがコリント第一 3:5-7の精神を表したと評しています。つまり、借り物の教理であるとの主張は華麗にスルーされているわけですね。そのことはさておいて、この散らばっていた宝石のような真理の断片、とラッセルが考えたものがどのようなものであったのかについては、上記中略部分に説明があり、羅列すると以下のようになります。

信仰による義認:ルターを通して広まり、多くの教派に認められる
神の公正と力と知恵という概念:長老派で不明瞭ながらも擁護されている
神の愛と同情:メソジスト派で褒め称えられている
再臨:アドベンティスト派が広めている貴重な真理
バプテスマ(形式部分のみ?):バプテスト派において正しく理解されている
革新:一部のユニバーサリストにおいて漠然と理解されていた

他、「神の選び、無償の恩寵、聖化、栄化、復活」が挙げられています。


順番に解説していきたいところなのですが、調べていくと、最初の「信仰による義認」が意外に根が深い問題で、500年近いカトリックプロテスタントの反目の歴史の主因であって、宗教戦争のきっかけとまで説明されていました。書き始めたらかなりの分量となってしまったので、この項目は後日、別項目を立てて詳細に分析してみたいと思います。また今回の主張に関しては、単なる私の勝手な主張に過ぎないなどと言われないように、適当と思える程度に公式へのリンクを張っておきます。


神の公正と力と知恵(長老派)、神の愛と同情(メソジスト)。この2つはまとめて語られ、神の主要な特質は、愛・公正・知恵・力の4つであるとして、今日でもエホバの証人の主張の中に、数多くの実例として認められます。
http://m.wol.jw.org/ja/wol/s/r7/lp-j?q=%E6%84%9B+%E5%85%AC%E6%AD%A3+%E7%9F%A5%E6%81%B5+%E5%8A%9B&p=par

再臨は、目に見えない臨在であると理解の形を変えて、エホバの証人の教理に組み込まれています。実際は、ジョージ・ストーズの主張そのままなんですけれどもね。
http://m.wol.jw.org/ja/wol/s/r7/lp-j?q=%E8%87%A8%E5%9C%A8&p=par

バプテスマバプテスト派と同様、浸礼式が採用され、幼児洗礼についても否定されています。
http://m.wol.jw.org/ja/wol/s/r7/lp-j?q=%E6%B5%B8%E7%A4%BC&p=par
http://m.wol.jw.org/ja/wol/s/r7/lp-j?q=%E5%B9%BC%E5%85%90%E6%B4%97%E7%A4%BC&p=par
違いがあるとすれば、その定義でしょうか?…といっても私、バプテスト派においてなんらかの定義付けがあるのかどうかさえ知らないので、本当に異なるのかまでは確証できませんので(定義が無いなら調べても出てくるはずがない、つまり調べようがないのです)。ラッセルの時代には「聖別」と表現されましたが、今日のエホバの証人は「献身」の語を用います。しかし、意味は同じであると考えていいでしょう。自分自身を神のために取り分けられたものとして差し出す、というのが直接的な意味で、これを噛み砕いた説明として、自分自身のために生きてきたこれまでの生活を改め、神の目的に沿った生活を送る決意を周囲に表明する、といった風に変化します。つまり宣教奉仕に熱心なのは、神の目的に沿って自分自身を差し出している、という解釈になるわけですね。なお、「神のために取り分けられた」という概念は、「神聖」との文字で聖書中に何度も出てきます(400回弱)。
http://m.wol.jw.org/ja/wol/d/r7/lp-j/1200002055?q=%E7%A5%9E%E8%81%96&p=par
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/122730/m0u/%E8%81%96%E5%88%A5/ 聖別(辞書の定義)
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/70110/m0u/ 献身(辞書の定義)

革新についてはひとまず保留して、神の選び、無償の恩寵、聖化、栄化について。

まず、「栄化」で検索すればわかるのですが、「義化・聖化・栄化」と3つまとめて語られるのが普通なので、聖化と栄化は信仰義認と切っても切れない関係にあります。そして、神の選びは「栄化」と、無償の恩寵は「義認」と密接な関係にあり…つまりこれら全てが関連性の深い言葉という事です。栄化をエホバの証人の言葉で表すと、神との養子縁組の完成、といでも言えばいいでしょうか。つまり油注がれた天的希望を持つクリスチャンが天での生活へと移る事を意味し、だからこそ「神の選び」がここに関係してくる、とこういうわけです。「無償の恩寵」とは新世界訳聖書の表現でいうところの「無償の賜物」、一番意味がよくわかるのはローマ 3章24節の聖句でしょうか。聖書原文を調べればわかりますが、つまりは信仰義認を裏付ける理論そのものです。

聖化についてはプロテスタント各教派で解釈に違いがあるようで、ルーテル派ではまず聖化があってその後に義認が生じるとしているのに対し、メソジスト派はこの逆、まず義認があって、自らを律することによって段階的に聖化し、その過程は死に至るまで継続する、という解釈になるようです。この点に関するエホバの証人の見解はというと…メソジスト派の主張に瓜二つですね。従ってこれらの教理もジョージ・ストーズ経由で学んだという事になりそうです。ちなみに、義化・栄化の2つとは異なり、聖化の語はきちんと聖書に登場します。
http://m.wol.jw.org/ja/wol/d/r7/lp-j/1200003827?q=%E8%81%96%E5%8C%96&p=par

復活…う~む、これの源流はどこにあるのだろう(笑)。特に復活を主要な教理に掲げている教派というのは無さそうなので、たぶんこれもジョージ・ストーズによるものと思われます。そう考えるべき理由もきちんとあり、実は復活という概念は基本的に、天国や地獄といった概念と相性が悪いのです。その良い例がラザロの復活(ヨハネ 11章)で、死んだラザロはどこに行ったのか、との疑問を考えるとよくわかります。ラザロが天国へ行っていたのだとしましょう。なぜ天国にいるラザロを復活させる必要があったのでしょう。ラザロが地獄へ行っていたのだとしましょう。地獄に落ちるような人間の死をイエスはなぜ嘆き、また復活させる必要があるのでしょう。天国や地獄の教えを有している一般的なキリスト教では、実はこうした質問に明快な回答を示すことができません。
http://m.wol.jw.org/ja/wol/d/r7/lp-j/1102005137?q=%E3%83%A9%E3%82%B6%E3%83%AD+%E5%9C%B0%E7%8D%84&p=par

革新(アダムの罪のゆえに失われたものの回復)については、『ふれ告げる人々』以外にほぼ言及がありません。ただ興味深いのは、これをラッセルが理解したのが聖書研究を始めてわずか2年目であると同時に、「長いあいだ散らばっていた真理の断片」(つまり他所から拝借した考え)の1つとして挙げている事なんです。先の説明でジョージ・ストーズから学んだのであろうと結論したのはこうした理由からになります。また、ラッセルの時代にはまだ理解されていませんでしたが、この革新という考えが、地上をアダムの子孫で満たすことこそ神本来の目的であるとの理解を生み出し、地的希望を持つヨナダブ級との解釈を生み出した事は言うまでもありません。この天・地2つの希望の表明は、エホバの証人のオリジナルであると一般に考えられているようです。


一通り説明が終わった所で、最後にラッセルが把握していたであろう教派の整理をしておきます。まず、ラッセル自身は長老派の家庭に生まれ、後に組合派に学び、次いで再臨派の思想に触れた事になっています。また、ジョージ・ストーズから、会衆派、メソジスト派、再臨派の、ストーズ自身のバイアスが加味された思想を学んでいるようです。よって、長老派・会衆派(組合派)・メソジスト派・再臨派の4つについてはそれなりの知識を持っていたのでしょう。

長老派
改革派から派生した教派。改革派はフランスのカルヴァンを源流とするため、教理には予定説が含まれる。予定説においては、救われる者、救われない者があらかじめ定まっているとされ、さらには救いがすでに確定していて取り消される事はないとも教えているため、人間の努力部分がルーテル派以上に軽視されている、との見方があります。

会衆派(別名、組合派。会衆派が正式名称らしい)
イギリスの清教徒革命時に生まれた教派の1つ。万人祭司というプロテスタントのもう1つの柱とされる教理が重視されるという特徴があるようで、長老の必要性をラッセルが認めるまでに時間がかかった事や、長老の地元選出制が採択された背景には、ラッセルがこの教派に学んだ影響があったのではないか、と仮定調で説明されています。実際、会衆の設立が説かれたのが1879年、長老の必要性が説かれるのが1895年と、16年の時間的開きが存在します。

メソジスト派
会衆派と同じくイギリスで生まれましたが、成立時期はやや遅れ、清教徒革命の影響を受けたと解説されるものの、会衆派とは別時系列で語られるのが普通です。教派名はメソッドという言葉に由来するそうで、教会員の間に認められる几帳面な行動を揶揄したもののようです。カトリック聖公会などと比較した場合に、より保守色が強い、と言い換えてもいいのでしょう。

再臨派
18世紀のアメリカ、ウイリアム・ミラーの再臨思想に共感した人々の集まりで、ミラー自身はバプテスト派の出身であったようですが、成員には多くのメソジスト派出身者が含まれており、当時のアメリカにおけるキリスト教分布をそのまま圧縮したような構成に近かったのではないかと思われます。年代計算で再臨の時期を特定しようとする特徴が認められる以外、他に特徴があったのかすら不明です。ミラーが示した1844年に何も起こらなかったため、そこから数々の分派が生じましたが、最大の人数を誇った福音アドベント教会は間もなく解体、信者の大半はそれぞれ元所属していた教派へと戻って行ったそうです。なお、2番目の成員数を誇った組織が、セブンスデー・アドベンチスト派の名で今日でも活動しています。

とまぁ、再臨派の中にバプテスト派(会衆派と同時期に清教徒革命にて生まれる)も含まれているわけで、バプテスマについてもジョージ・ストーズ経由という事になりそうです。これにて一件落着。